【映画評】シン・ゴジラと初代ゴジラの共通点と相違点がわかる

庵野秀明監督は傑作『シン・ゴジラ』の完成報告の中で次のように言っています。

庵野
庵野

『怪獣映画は初代ゴジラがあれば十分だと、最初は東宝のオファーを断ったが、初代ゴジラの面白さ、衝撃に少しでも近づく作品にしたいと、結局、新たな挑戦を受けて立つことにした。』

東宝でのインタビュー

『シン・ゴジラ』と『初代ゴジラ』の共通点とは何か?相違点はあるのか?

このエントリーは、シン・ゴジラと初代ゴジラの共通点と相違点から、当時と今の日本の差異を明らかにし、よりシン・ゴジラを深く楽しめるようにしよう、というエントリーになります。

まずはシン・ゴジラと初代ゴジラを比較するにあたって、簡単に『初代ゴジラ』を未見の方のために以下にストーリーをまとめます。
※完全にネタバレですのでご注意ください。

終戦間もない日本はようやく復興のきざしを見せつつあった。

そんな折、愚かにも人間が繰り返した水爆実験によって大戸島で伝説とされている巨大生物ゴジラが海底から目を覚まし東京へと上陸。
ゴジラは傷癒えきらぬ東京の街を圧倒的暴力によって破壊する。
 
破壊の限りを尽くすゴジラを封じるため自衛隊(防衛隊)が出動するも歯が立たない。
 
唯一、芹沢博士が人知れず開発していた大量破壊兵器『オキシジェン・デストロイヤー』のみがゴジラを打ち破る可能性があった。
 
だが博士はこの人類史上最悪の兵器が世に出れば愚かな人類は必ず戦争に用いて原爆以上の惨禍を引き起こすに違いない、と使用を許可しない。
しかし周囲の必死の説得と子どもたちの平和への祈りに心動かされた博士は、人類を再び信じるようとする。そして、今回一度限りを条件としてゴジラへの兵器使用を決断する。
 
博士自ら兵器を携え海底で眠るゴジラの元へ潜水する。
船上から見守る人々。
やがて水柱が上がりゴジラは溶けていく。
勝利を確信した人々は海中から英雄たる博士が再び戻ってくるのを待っていた。
しかし博士は公にされたオキシジェン・デストロイヤーを永久に闇に葬るため、唯一作成方法を知る自らの命を絶つことを告げる。
 
博士の犠牲のもと日本に再び平穏が訪れる中、ある人物は呟く。
「このゴジラが最後とは思えない。人類が愚かな核実験を繰り返すならば、またいつかゴジラがあらわれ、人類に危機が訪れることになるだろう……」と。

シン・ゴジラと初代ゴジラの共通点

さて、まずはシン・ゴジラと初代ゴジラの共通点について簡単にまとめたいと思います。

まず両作品に共通するのは『ゴジラ』という怪獣(破壊と怒りの化身)が人類にとって“未知”の存在であったという点が挙げられます。

ゴジラ作品は初代の大ヒット以降数多作られることになりますが、それら全ての作品は『ゴジラが既にあらわれたことのある世界』を舞台にして製作されました。
ゴジラ作品は初代を除けば基本的に全て『“あの”ゴジラが再び戻ってきた!』というスタンスでゴジラと向き合う世界の出来事だったのです。

一方『初代』および『シン・ゴジラ』では、ゴジラはあくまでも“未知”の存在として描かれます。
ゴジラという正体不明の怪物(怪獣)を目の当たりにした人々は、為す術なく逃げまどい踏みつぶされ破壊される。
ゴジラはひたすらに放射能の炎を吐き、街を蹂躙していきます。

両作品共にゴジラは人類にとって『破壊と崩壊をもたらす“未曾有”のもの』として描かれるのです。

リセットされるゴジラ像

二作目以降、ゴジラの描かれ方は徐々に恐怖と破壊の象徴からコミカルなものへとシフトしていきました。
ゴジラはたびたび日本へ上陸するものの、彼(ゴジラ)がなすことは、怪獣と対決することであり、子守をすることであり、時にはおどけたポーズをとりながら人類を救うことですらありました。

初代ゴジラが見せた圧倒的な破壊と暴力は徐々にゴジラのアイドル化・キャラクター化によって忘れられていきました。

そうしたコミカルなゴジラ像は『シン・ゴジラ』では一切表現されません。
シン・ゴジラは生物としての完全性(究極進化)に反比例するかのようにひたすらに没コミュニケーションな三白眼のまま圧倒的な暴力をもって東京の街を焼きつくします。

とはいえ、こうした旧来のコミカルなゴジラ像のリセットを試みた作品(初代回帰)はシン・ゴジラが初めてではありませんでした。

例えば1984年、ほぼ10年ぶりに製作された『ゴジラ(通称1984ゴジラ)』もシン・ゴジラ同様、それまでに作られた数々のコメディタッチなゴジラ像のリセットを試みています。

1984版ゴジラ以前のゴジラは初代を除くと基本的にゴジラ対○○怪獣という図式でした。

ゴジラ以外の怪獣がゴジラと同時に出現し、ゴジラを撃退し日本に平和がもたらされる。
(あるいは日本を破壊しようとし、ゴジラによって撃退され日本に平和がもたらされる)
対決シーンは先に述べたように時にコミカルなものですらありました。

この1984版ゴジラはそうした“怪獣プロレス”の要素を一切排した作品づくりを試みます。
ゴジラは目覚め、東京に上陸し破壊してまわるのですが、その際、冷戦真っただ中であった米ソ間の緊張の高まりや核ミサイルの誤発射による被害拡大といった描写など、『冷戦と核戦争への恐怖』が物語の重要なモチーフとして度々描かれます。

“いつ核ミサイルが発射され人類が滅亡してしまうかわからない”

僕も幼いながらに当時の空気を覚えていますが、そうした不安(世紀末観)は相当にリアリティのあったもののようで、同様のモチーフ(世紀末もの/反・消費社会/核戦争)は80年代サブカルチャーの名作において重要なモチーフとなっていました。
(AKIRAや北斗の拳、マッドマックス。風の谷のナウシカ。ニュークリアエイジ。 etc.etc)

確かにゴジラを恐怖と破壊の象徴として描こうとした点は、初代ゴジラもシン・ゴジラも1984版ゴジラも同じです。

ですが1984年版に描かれた冷戦と核戦争による人類の破滅という恐怖は、あくまで“想定された不安”でしかありませんでした(今のところ)。
ご存知の通り冷戦は終結しソ連は崩壊。未だ核兵器を落とされるという経験をした国は日本以外にありません(今のところ)。

恐怖の象徴としてゴジラを描こうとした点は初代/シン/1984の3作品に共通はします。
しかし初代とシン『だけ』が共有する重要で、決定的なポイントがあることに読者の方は気付かれるかと思います。

それは、この2作品が撮影された直前、『日本は事実破壊された』、という点です。

それも圧倒的なまでに破壊され、実際に放射能により汚染された、という点です。

3.11としてのゴジラ

シン・ゴジラは言うまでもなく3.11が物語の下敷きになっています。
前回エントリーで3.11としてのゴジラについては詳細を書いているのでここでは省略をしますが、当時の混乱と恐怖、そして今なお続く不誠実な原発関連の政府・東電の対応の数々は、牧教授ならずとも『心底の怒り』を日本人に呼び起こすに十分なものであったかと思います。

戦災としての初代ゴジラ

一方の初代ゴジラが製作されたのは、一億総玉砕の文字が踊った太平洋戦争の敗戦からわずかに9年後のことです。

戦争により大都市は連日連夜空襲を受け、街は隅から隅まで燃えさかり、ビルは壊れ戦災孤児が街に溢れます。
人類最高の頭脳と叡智を注ぎ込んで作り上げた最高最大に人を殺せる兵器――核兵器――が、2発も人口密集地帯に落とされました。
街には死の雨が降り、人々は消し飛んで燃え盛り、声をあげる間もなく死んで死んで殺されまくったのです。
(わずか3日の間に起こった出来事でおよそ30万人近くの日本人が殺されたわけです)

南方では年若い兵士が理不尽に上官に殴り続けられ、あるいは相互に監視し合い、縛りあいながら、一切合切全員の兵站は断たれ、食料は配給されず、人数合わせに内地から人が召集されては遠い地で何万とすり潰されるように死んでいったのです。
(太平洋戦争での死者数は軍、民合わせて約300万人(!)にものぼります。)

そのわずか9年後に作られたのがこの初代ゴジラなのです。

従軍記者だった僕の祖父は原発投下後すぐに広島へと入りました。
経験したことを言葉にして人に伝えることを仕事にしていた祖父は、しかし死ぬまでただの一度もそこで見たことを、経験したことを家族に話すことはありませんでした。
恐らくは話せなかったのでしょう。
そうだろうと思います。
そこは人類が初めて経験したことで溢れた場所でした。

祖父はそこで何をみたのでしょう?
悲劇というにはあまりに生々しく、言葉にならぬ声が街中に溢れ、沸き起こる“なぜ”に誰からも一切の答えが与えられぬまま溶けるように何万人とが死んでいった直後の場所。

一介のサラリーマン。家族を守り子を育てた青年。
祖父が話すことができなかったことは特殊なことなのでしょうか?
僕はそうは思いません。
時にあまりに人間の心に深く刻まれた恐怖や怒りはそれそのものとしては語ることができないものとして、当人ですら触れえない記憶・感情となることがあります。
そうした感情を経験した人間は祖父だけは決してなかったでしょう。
“日本中”が破壊され、言葉を失っていたのだろうと思います。

自分は生き残り、息子/父/弟/母は死に今ある幸せを肯定できなくなる。
必死に生きるために生きながら周囲の風景はどんどんと変わり何事もなかったかのように消えて去っていく。
怒りとも悲しみともつかない感情が溢れていたことでしょう。

そうした声にすることもできない怒りと悲しみは終戦を経て着々と復興が進む風景にも癒されぬまま、多くの日本人の心の中で沸々と煮え立ち、噴出する時を待っていた。

その語り得ぬ怒りと悲しみの爆発こそがゴジラだったのです。
隣で死んだ戦友への、目の前で焼けただれて死んだ子供への、破壊することでしか表現できない死者への慰霊。
それが初代ゴジラだったのです。

僕はシン・ゴジラを観た際にゴジラが東京を破壊しつくす様を見て恐怖と同時にもっとやれ!と震えないわけにはいきませんでした。
ゴジラが東京を破壊する様を見てそこに恐怖とともに自分自身が3.11を取り巻くすべてのことに怒りを覚えていたことをハッキリと自覚させられたのです。

初代ゴジラの観客は、ゴジラが国会議事堂を壊すシーンに思わず立ち上がり拍手する人が多数いたそうです。
そしてゴジラが人の手によって殺されるシーンに、悲しみのあまり皆が泣いた。
「なぜゴジラを殺すんだ、ゴジラは悪くないだろう」と泣いたのです。

この感情は終戦直後の日本人にだけある特殊なモノなのでしょうか?

僕はそうは思いません。
3.11の直後、震災ボランティアとしてイチゴ農家にお手伝いにいったことがあります。
震災直後にも関わらず彼らは皆気丈に振る舞っていました。
そして壊滅したイチゴ畑を再び作り上げようとしていました。
彼らはリスクを取り、借金をつくりました。
再び自分たちが生まれ育った町に雇用を生み出そうと、これまで誇ってきたイチゴの素晴らしさを震災前と同じようにしようと、ここで生きようと、希望の有無にかかわらず奮闘していました。
家族友人を失った人もいるでしょう。
国に言いたいこともあるでしょう。
けれど言える言葉が、聞いてもらえた言葉が一体どれほどあるというのでしょう?
『ひとつになろう日本!』と広告を打ち、叫びながらその横で日本の農業をTPPで売り渡そうとし続けた政府にどれ程の言葉が届いたというのでしょう?
『福島土人』と転校生を罵り、いじめ殺した生徒と見知らぬふりをした警察と学校がいるわけです。

怒り。
怒り。
怒り。

ゴジラは“現実”に破壊された日本の痛みと怒りに狂う慰霊のための怪物だったのです。

『シン・ゴジラ』と『初代ゴジラ』の相違点

シン・ゴジラと初代ゴジラには「未曾有の大破壊によって傷ついた日本人の怒りと慰霊の感情が込められている」という共通点があると述べました。

では相違点はどのような点にあるのでしょうか?

それは物語上のゴジラの現れ方と倒し方(登場と退場)の仕方にハッキリと表れています。

完全に真逆の形をとっているのです。

簡単に図示するとこのようになります。

<シン・ゴジラと初代ゴジラの比較>

シン・ゴジラでは、ゴジラが目覚める原因・理由はハッキリとは表現されません。
(というかゴジラ自体が最後まで何者か明言されません)
最後まで謎のまま、ただ牧教授個人の強い怒り・憤りがゴジラの登場に何らかの影響を与えたことが示唆されるのみです。

一方初代ゴジラは明確です。
ゴジラは海底に眠る怪獣であることがハッキリ述べられますし、人類(集団・組織)が行った水爆実験という愚行が原因で目を覚ましたことが描かれています。

ゴジラ覚醒の原因は、個人によるものと集団によるものとハッキリ対称形を描きます。

この対比はゴジラ退場シーンにおいても同様です。

シン・ゴジラでは集団/組織が知恵と力(科学/インフラ/人脈等々)を結集してゴジラを辛うじて封印することに成功します。

一方初代ゴジラは、あくまで芹沢博士個人が開発していた兵器を、芹沢博士個人が持ち込み滅ぼします。
シン・ゴジラが日本のインフラ(ビル・鉄道網)等も含めて総力を結集して挑む決戦とは好対照を描いていると言えるでしょう。

ではなぜこのように物語は正反対の始まりと終わりを描くことになったのでしょうか?

まずシンについてですが、僕は庵野監督自身が、やはりどこかで組織・集団並びに科学力というものに信を置いている、(あるいは置きたい)という気持ちが非常に強いからだと考えます。

次の動画の4:00分あたりを観てみてください。

庵野秀明語る

庵野監督はここで、「自分は組織というものが好きなのだ」ということを言っています。
(シン・ゴジラは一種の政治劇、怪獣がもし現れたら、という仮説を楽しむ作品としても非常高い評価を得ていますが、こうした“組織”を描きたいという指向は昔から明確に監督の中にあったのです。)

シン・ゴジラ公開当初から話題になっていましたが、エヴァンゲリオンの「ヤシマ作戦※」を見てもわかる通り、庵野監督はやはり総力戦というものが好きなのだろうと思います。

※超強力な敵(使徒)を破るため、日本中の電力を対使徒用の武器にチャージして倒そうとする作戦

確かに総力戦というものは手に汗握りますし、僕も好きです。
テンションが上がる。

また、同時にこの原発事故が個人の力で解決しようがないことも明らかかと思います。
ある意味では日本人が組織/集団の力を信頼して総力を結集する以外に解決の道はありえない。
そう確信しているからこそ、シン・ゴジラは総力戦をゴジラに挑むのです。

一方初代ゴジラが作られた頃は、恐らく総力戦というものに対し国民が嫌気をさしていたのではないか、と想像します。
文字通り国民総動員の法律が作られ、鍋や包丁まで拠出を求められた時代を何とか生き延びた人々が、戦後すぐに再び“総力を結集して!”という物語に共感することは難しかったのではないでしょうか?
初代はむしろそうした組織に力を結集させられるチカラよりも、特異な個人の信念や能力をこそ信頼したかったのではないか、と僕は考えます。
だからこそ芹沢博士という個人がゴジラと対決する形になったのだ、と。
(その意味では戦後の”個人尊重主義”が描かれはじめた映画とも言えるかもしれません)

このように物語の始まりと終わりについて、シン・ゴジラと初代ゴジラとでは、個人という組織というものが対象形を描いているのです。

こうした対象形はその他にも幾つかありますので以下の図をご覧ください。

シン・ゴジラも初代ゴジラも日本を破壊するという“加害者”としての性質は同じではありますが、その他要素については、綺麗な対称形を描きます。

まずゴジラを被害者として見た時。

初代ゴジラでは、ゴジラもまた人類によって眠りを妨げられた被害者であるという描写がされますが、一方シン・ゴジラではそうしたゴジラの“被害者としての側面”については触れられません。
(ひたすら謎のまま進化を続け破壊する)

次に人類にとっての有益性。
シン・ゴジラは圧倒的な破壊者であるものの、同時に人類へ無限のエネルギーをもたらす可能性、有益性についても語られています。

初代ゴジラでは、そのような有用性/有益性は一切議論されません。
ただひたすらに初代ゴジラを何とかするしかない。

次にゴジラの正体。
シン・ゴジラは最後まで謎のままですが、初代は古代怪獣であることが明言されます。

最後にゴジラの“唯一性”です。

シン・ゴジラのゴジラは進化の究極体であり生物の頂点、他の個体を必要としない唯一無二の存在として描かれます。
一方初代ゴジラはあくまでも生物のひとつとして描かれ、第二、第三のゴジラが示唆され、終幕します。

戦争と原発事故の違い

ではなぜこのような差が生まれるのでしょうか?
それは恐らくゴジラのモチーフが、“原子力”と“戦争”という異なるものを元にしているからであると想像します。

原子力の研究は元々それ自体が無限エネルギー(と破壊)の探求という、人類にとって”科学によって太陽を手に入れようとする目もくらむようなロマン”を孕んだ研究でした。
であればこそ、シン・ゴジラのゴジラは破壊と福音という相反する側面をもつ(かもしれない)ものとして描かれます。

一方初代ゴジラは“戦争”という悲劇(福音要素のない)がモチーフです。
そのために初代ゴジラはゴジラ(戦争)そのものに有益な側面があるとは表現されなかったのでしょう。

そうした”原子力”と”戦争”というモチーフの差は、各々の悲劇の終幕の差にも表れています。

初代ゴジラがモチーフとした戦争は、一応は“終戦”します。
被害は甚大であるものの“ゼロからやり直す”ことができるものだったのでしょう。
被害が拡大し続けるわけではない。

一方シン・ゴジラの元となった原発事故については、未だに被害の実態が誰にもわからない状態となっています。
何万年と放射能は吐き出され続ける。
“ただちに”健康被害はでないかもしれない。
けれど、“いつかは”でるだろう。
どのくらいの時間がたった時、どのくらいの被害がでるの?
それはどのくらい続くのだろう?
それは誰にもわかりません。
シン・ゴジラのラストシーンを凍結による『当面の解決』どまりとしたのはこのあたりを意識しているからかと思われます。

まとめ

シン・ゴジラと初代ゴジラは共に日本が経験した未曾有の悲劇に対する怒りと鎮魂とをその作品の根底に共通して持っています。

一方、ゴジラそのものの描き方は、実は初代とシン・ゴジラは全くの正反対と言っていいかと思います。

いったんは終わったものの、再び戦争の悲劇は繰り返してはならない。個人の力を信じようというという初代。
組織の力で何とか悲劇を留めよう。しかしまだ何も終わっていないというシン・ゴジラ。

そうした視点で両作品を改めて見直すと、こんな風に言えるのではないかと思います。
初代ゴジラは怒りと哀しみ、そして人類への警鐘を鳴らす怪獣映画であり、シン・ゴジラは怒りと“人類(日本)への希望を当面は捨てずにおこう”とした映画である、と。

シン・ゴジラ単体のレビューは以下